今更ながら、シビレています。

原子力発電の事故があってから、亡くなった「忌野清志郎」さんの

You tubeへアクセス数が急増していると聞きました。

私も聴いてみましたが・・・何と言うことでしょう!


あんなにステキな、素晴らしいメッセンジャーだったなんて、知り

ませんでした。あ〜、生存中に一度くらいコンサートに行ってみた

かったなあ。


彼、故郷が福島なんですね。

生きてくれていたら、みんなの意識がだいぶ違ったかもしれない・・

なんて思っています。


あなたもちょっと、聴いてみませんか?

http://www.youtube.com/watch?v=MIbrxhv_s_M&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=q0cmuaNgf8s


夢であってほしい

数日前に撮ったものなので、既に散り始めているかしら。

コブシの大きな木を見つけたので一枚収めました。

高校に通う道沿いに、大きなコブシの木があったことを思

い出しました。それを見るといつも「ああ、春が来たんだ

なあ」と思ったものです。私の青春の1ページ。


いつもだったら、春の到来に、心がわくわくするはず、な

のですが・・・。

あの日から、全てが一変しました。

夢であってほしいと、何度も何度も思うのですが、起こっ

てしまったものは、もう元に戻すことはできません。


東北関東大震災から、明日で3週間。

被災していない私たちが、元気で、被災者の方々を支援していくためにも、い

つも通りの日常を過ごしていきましょう。


でも、成長期のお子さんには、十分注意をはらいましょう。

相手は放射能です。

テレビで言っているようには、甘くはありません。

微量でも大気中の放射性物質を吸い込まないように、気をつけてあげましょう。


事故が起こってからずっと、考えていることがあるんです。

それは、こんな社会を許してきたことへの自分への怒り。悔しさ・・・。

空気や水を気にしなければならないような、こんな社会を造ってしまったのは、

私を含めて大人の責任なのだ、と。

子ども達には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。


原子力発電が絶対に安全と言うなら、お台場あたりに造ったらどうでしょう?

それに、都会の電力を造るために、地方の人々を犠牲にしていいなんてことはな

いと思います。

自宅の庭をきれいに保つために、お隣のお庭にゴミを捨てる人はいないでしょう?


私たちは、どんな社会を望むのでしょう。

原発震災は、私たちの生き方をも問うているのではないか。私はそう考えています。


結花は営業しています

24日まで「時代雛・吊るし雛展」です。


「この非常時の最中におひな様展だと?不謹慎だ。能天気だ」とお思いに

なるかもしれません。

でも、このような時だからこそ癒しは必要です。

時にはテレビやラジオを消して、自分自身を取り戻しましょう。

私たちは平常心を保ちましょう。

思いは馳せていても、私たちが希望を失ってしまわぬように、

ほんの少し、おひな様を覗きにいらっしゃいませんか?

もし結花が、あなたの心を癒す一助になれれば嬉しいことです。

結花という名は、人と人が、人と地域が結びつくように願って付けられたのです。


矢切と、松戸と、千葉県と、日本と、世界と、共に繋がり、結び合って

新しい世界を造りだしていかれるように願っています。


原発は国家の犯罪

なんてこと、なんてことでしょう。

被災地の人はどんなに寒いでしょう。


原発は生命と共存出来ません。扱いしきれません。

もういい加減に気付きましょう。

私たち大人は、子どもたちのために、原発をもうこれ以上

造らせないように、声をあげましょう。


被災地で生き残った方々、どうかどうか、生きて下さい。


子どもと話していますか?

一昨晩、寝床に付きながら、何となく長女と会話をしました。

大抵私が彼女と話す時は寝ながらです。

面と向かって話すって・・・お互いやりにくいものです。

さっき見たテレビの映画の話から発展し、彼女の友達の話に。

「私が怒らない子だと思って、嫌なこと言ってくる子がいるんだ〜。馬鹿にしてさ。

この頃”そういうこと言うのやめてよ。ウザイんだよ”とか言ってるの、私。」とか

イマドキなことを言う。


どんなことを話したのか、あまり詳しく覚えていませんが、中学生になり、会話が

少なくなる中、たまにでも話ができると素直に嬉しいものですね。

彼女は彼女で色々なことを感じながら生きているのだ、ということが分かります。

たかが子ども?でも、一人の立派な人間。そういう目で見てあげたいものです。


今はジャニーズの「嵐」とイラストに夢中です。「ねぇ、これ上手に描けたでしょ

?」とか言って嬉しそうにノートを見せてくれたりします。「うん、いいじゃない」

なんて、褒めちゃったりして。実際上手なんですもの。

彼女はカラフルな色使いがとても好きです。それは、私たち夫婦とは全く違う感性。

そう思うと、自分たちから生まれた子どもでも、一人の違う人間なのだと実感しま

す。まあ、当たり前のことなのですが・・・。


さて、子どもが何らかのシグナルを出した時、私達親はどうしたらいいのでしょう?

そういう時にこそ、「私は母親なんだ」「俺は父親なんだ」と実感するのではない

でしょうか。親の役割を、とても考えさせられる時です。

彼女も小学校3〜4年生の頃、「抱っこして」というシグナルを出してきたことが

あります。

振り返れば、彼女にとっては、小学1年生で見知らぬ土地に引っ越してきて、全て

新しいものに慣れていかざるを得なかった。私は私で、結花の仕事にかかりっきり。

更に別の問題もあり、私も一杯いっぱいだったけれど、彼女も目一杯頑張っていた。

でも、とうとうどうしようもなくなって「お母ちゃん、抱っこして」というシグナ

ルを出してきた。・・・あらましはこんなところでした。

私は、恐らくこれは、今この子にとって抱っこが一番必要なんだろうと思いました。

下の子の目を盗んで「今抱っこ出来るよ、おいで」という具合に、ちょっとの時間

を見つけては抱っこしていました。

でも、癒されていたのは、彼女だけでなく、私自身もそうだったのかもしれません。

抱っこって、人をとても安心させる気がするんです。


お母さんも頑張っている。子どもも頑張っている。

時々は抱っこし合って、固くなった心をほぐしてみてはいかがでしょうか。