卒業式の季節ですね

今日は「結花の歌声」でした。

いつもより少なめのお客様でしたが、初めての方も来られ、いつものように

ほのぼのとした時間が流れました。

途中、「卒業式の季節ですから仰げば尊しを歌いませんか?」ということに

なり、歌い終わると、司会の太田さんが「卒業式と言えば薫さんもPTA会長

として卒業式で話したんでしょ?」なあんて、いきなり振ってきまして。

もぅ・・・太田さんてば、いつもいきなりなんですもの。

話しながら込み上げちゃいました。私、見かけによらず泣き虫なんですよ。


卒業式で、PTA会長は「祝辞」を読みます。卒業生に贈る言葉と、会員の皆

様へのお礼など。

どんな言葉でもいいから、とにかく思いを込めて伝えよう。

そう思って話したことは・・・


出会いほど、じぶんの人生に影響を与えるものはない、ということ。

その貴重な出会いを見逃さないでほしいと心から祈っている、ということ。


あなたは世界にたった一人だということ。

どんな自分もそれがあなたの個性であり、素晴らしいのだ、ということ。

どうぞ、そんな自分が「好きだ」と、堂々と思ってほしい、ということ。


大した教養も持ち合わせない自分が、母親として伝えたいことは、以上のよ

うなことでした。

今でもその気持ちは同じです。今の子どもたちに、いいえ私たち大人にも必

要なことは「自己肯定感」ではないかと思っています。

こんな私だけど、私は私でいいのだ、こんな私が好きだな〜・・・と思える。

それはきっと、人を好きになることに繋がるのですから。


さて、来週からは「吊るし雛・時代雛展」です。

結花が一年で一番華やぐ時です。是非一度お運びください。

とてもきれいですし、小さな吊るし雛の可愛らしさに癒されますよ。


だいぶ北風が強くなってきました。

皆さん風邪など召されませんように・・・。





春近し・・・

先週の金曜日は、小学校のマラソン大会でした。

午前中からとても暖かくて、マラソンするにはちょっとキツい日だったかも

しれません。何しろ半袖でちょうど良いような陽気でしたから。


でも、辺りには春がたくさん・・・。

空にはヒバリがけたたましく鳴き、足下には”犬のフグリ”や”仏の座”が咲き、

土筆もほんのちょこっと顔を出していました。


来週あたりには、土筆を土ごと掘ってきて、小さな植木鉢に植え、結花の店

頭に置こうと思っています。お客様にも春が感じられますように♪



日本語は豊かだ

正直、この歳(現在45歳であります)になるまで、また結花に関わるまで、

日本語の豊かさについて考えてこなかったと思います。

なーんて、日本語の豊かさのまだほんのほんの一部しか、私は知りません。

日本語の豊かさは、四季の豊かさにも起因していると思いますが、それにし

ても色々な表現があるものです。

何でも、「花」によって散り方の表現が違ったりするんですって。今日、お

客様に教えていただいたのです。「散る」「こぼれる」「しおれる」など?

全く。私は基礎的な教養に欠けるので、どうも覚えが悪くてお恥ずかしいの

ですが・・・。


君がため 春の野にいでて 若菜摘む 我が衣でに 雪は降りつつ

光孝天皇


今日みたいにばかに暑すぎる日には詠むにはちょっと合わないかしら。

できれば花冷えの日に思い出したい一句。


雪とけて 村いっぱいの 子どもかな    小林一茶


待ちに待った春の喜びを表現しているのでしょうか。ほのぼのしていて

いい句だなぁ、と思います。


色の名前も、季節の名前も、日本語は素晴らしいし、また本当に美しい

文学的な表現がたくさんありますね。

そんな言葉の数々も、ご紹介しつつ、学んでいきたいな・・・と考えて

います。



ヒフ感覚を養え

昨日、建築関係お詳しいお客様がお見えになりました。

父の仲間の建築家のこともよくご存知でした。

そんな中、「現代の日本人は”物作り”をしなくなった」という話になりました。

例えば、一生を過ごす住宅は、今やまるで車をショールームに行って購入するか

のように住宅展示場に行って買う。勿論、ある程度の設計はすると思うが、そこ

にはおそらく職人の手仕事は無いだろう。

その新建材で固められた空間で過ごした子どもたちには、”ホンモノの素材の空間”

というものが理解出来ないだろう。

特に”空間”というものは「ヒフ感覚」がとても大切。

殆どの子どもたちが、ホンモノに触れずに育つ中、日本の「手仕事」の世界を将

来残していかれるのだろうか?

そんな主旨のお話でした。


結花は明治8年築の建物で、使われている木材は正真正銘のホンモノ。

本当は子どもたちにこそ触れてほしいという気持ちです。

近隣の小学校の「町探検」などの課外授業に結花も加えてもらって、日本の建築

文化を体感してほしいのですが・・・。

小学校って、意外と壁があって難しいところがあるみたいです。


それなら保育園や幼稚園に声をかけてみようかしら。





「孤独」という病(やまい)

皆さんは、例えば「mixi」や「facebook」などのコミュニケーションサイトを

利用していますか?

松戸市内にも「ラブマツ」というコミュニケーションサイトがあります。

私も、一応それらに加入していています

しかし正直、会ったことがない人とは友達になるという気にならず、ですので

いわゆる”マイミク”などはほんのわずかですが・・・。


それにしても「公開日記」とは、面白い発想ですよね。

私も以前は熱心に書き込みをしていました。


でも、どうして公開するのでしょうか。公開する心理とは何なのでしょうか。

どうして、多くの人が知らない誰かとマイミクなるものになるのでしょう。


私は思うのです。

人はやはり、人と繋がっていたいのだ、と。

公開した日記に対して、誰かが反応してくれる。賛成してくれる。同感してく

れる。やはりそんなことを期待しているから、日記を公開しているのだ、と。


でも、ある時からどうしてか何となくそれがしっくり来なくなり、書くのを止

めてしまったのです。

理由はよくわかりませんが、基本は人間同士、肉声が必要だと感じたからかも

しれません。

メールもそうですが、どんなに沢山のメールをやり取りしても、満足出来るこ

とはありません。どうしてか、何か足りないのです。


ところで、最近問題の”ネット依存”。

子どもを育てることも忘れてネットゲームにハマる母親。携帯電話を手にして

いないと仕事もてにつかないほどだというOL。

女性にネット依存が多いのは何故なのでしょう。


私の場合は、子育て中にとても孤独を感じました。

夫は仕事の悩みで時間的にも物理的にも余裕がなく、私は子どもを保育園に送

迎しながらパートをかけ持ち。肉体的にもかなりキツいものがありました。

保育園の保護者とは送り迎えの時だけのおつきあいだったし、時間的にも余裕

がない中、どこかに出向いて居場所を探そうという思考さえ働かず。


とても孤独でした。

子どもにもイライラして爆発したりして。

その時に5歳(6歳になっていたかもしれません)の娘からもらった手紙は・・・

今も大切に取っておいてあります。

今思い出しても切なくて、涙が出るような手紙です。


あの時の自分を思うと、現代の病の多くが「孤独」を原因とするものなのではな

いかと思ったりするのです。

人は、やはり人と関わりを持っていく必要が、絶対にある。そう思います。

実際に人と関わることは、煩わしさがつきまとうものですが、それを受容しつつ、

人は人と関わっていかなければならない生き物なのではないでしょうか。


結花は、そんな社会にどんな発信ができるのでしょう。

何らかの「結」をこの矢切に築きたい。

人との”縁”が希薄なこの社会において、結花だけは暖かく咲いていたい。

結花はそんな存在でいたいのです。