「影響無い」を信じますか?信じませんか?

福島の原発事故で、沢山の放射性物質が飛散し、海にも垂れ流され、

日本国内だけでなく、世界中に影響を及ぼしています。

テレビでは、様々な専門家や学者の先生が出て「直ちに影響はない」

と口を揃えて言っていました。

でも、本当にそうなのか、にわかに信じがたい・・・

私はすぐにそう思いましたが、皆さんはいかがでしたか?

そもそも、放射能が原子炉から漏れてしまうこと自体、大問題ですよ

ね?

以前のニュースでは、「◯◯原子力発電所で××の事故起こったが、放

射能漏れは無かった」などという報告がされていました。

何故でしょうか。

放射能が重大な影響を及ぼすからなのではないですか?


私はテレビに出ている学者の先生は、正直あまり信頼出来ないと思っ

ています。こんなに多くの「テラベクレル」なんて、聞いたことも無

いような大量の放射能漏れが起こってもなお「影響は無い」と言うの

は、将来ある子どもがガンになったとしても原発事故によって漏れだ

した放射能の影響でガンになったと証明出来ないから、胸を張って「

影響は無い」と言うのではないでしょうか。


私は、放射能は檻から放たれた猛獣みたいに、「手がつけられない」

モノだと思います。そんなに命がけの電気が必要でしょうか。


でも、原発を「必要悪」と思っている人や、テレビの学者の言うこと

を信じている人にとっては、私の言うことは奇異に聞こえるようです。

「安全だ、ガンになんてならないって言ってるじゃない」

「そんなのきれいごとでしょう。今原発が無くなったら電気は全く来

なくなるよ。そうなったら経済はメチャクチャ、世界中に迷惑だよ」

と、こんな意見です。


でも、福島の原発から20km圏内の地域の子どもたちは、住み慣れた

土地を離れ、新しい生活を余儀なくされています。それを「仕方ない」

なんて言葉では片付けられません。・・・むごすぎませんか?

日本国には、そんな犠牲が無い発電を選択してほしいです。


しかし、今はとにかく原発事故が、一刻も早く終息に向かってほしいと

願うばかりです。現場で作業している人の被ばく量は、相当な量になっ

ているのでしょうから。これから家庭を持つような方がその中にいるの

でしょうか。「そういう人は作業してはいけない」というような括りは

ないのでしょうか。被ばくが将来どんな影響を及ぼすかわかりません。

本当は若い人には作業させてはいけないと思うのです。


今すぐ原発が止められないにしても、やはり将来的に、日本は、日本の

高い技術を生かして”自然エネルギー”開発のリーダーになってもらい、

世界にその技術を輸出して行くような素晴らしい国になってほしいもの

です。


この不安はいつまで?

余震が落ち着いてきたか・・・たと思ったら揺れる、の繰り返しで、本当に落

ち着かない日々ですね・・・。

余震の震源地が「福島県浜通り」と聞く度に、原発は大丈夫かしら、もしや亀

裂が大きくなってやしないかしら、もっと悪い事態になってやしないかしら、

と心配で仕方がありません。

放射性物質も、風向きによっては当然こちらに飛んで来ているわけですもの。

つくづく、安全な食べ物と空気と水がどんなに大切で、私たちに必要なものは

それ以外には無い、ということが分かりました。


かつて、大気圏内で水爆実験を繰り返していた時代は、プルトニウムは今現在

の1万倍は飛んでいたのだから、今更防御しても大した意味は無い・・・とい

う意見もあるでしょうが・・・それはどんな風に考えればいいのでしょう?

でも、毎日毎日飛んでくる、この長期間浴びている状態と、その時と、同じな

のですか?


政府も、指揮系統が全く機能していないと見えて、何をやっているのかさっぱり

分かりません。一刻の猶予も許さないというのに。

こんな重大な局面に、この政府が当たってしまったことは、日本国民にとって、

いいえ世界にとって本当に不幸です。


さて、4月10日(日)の高円寺のデモ、すごい人だったらしいですね。

日本国内の市民によるデモとしては、最大のものでしょう。しかも「初めて参加

」という若い人が多く、とても感動しました。

You  tubeで見られますので、良かったらご覧ください。


http://www.youtube.com/uniontube55?gl=JP&hl=ja#p/u/5/h7llbVEM14Y


また岩手に行きたい

岩手には、結婚前に行ったきりなので、かれこれ16年くらい行っていません。

初めて一人で行ったのは19歳か20歳の夏でした。


埼玉県の浦和に用があって、帰り道に何気なく寄ったデパートで「大いわて展」

が開催されていました。

そこで「六原張り子」に出会いました。


どことなく愛嬌があって、素朴で、自然な色合いがとても素敵で、直ぐに一目

惚れしてしまったのです。

特に「うさぎ舞い」と「じょじょ猫」、もの凄く迷いました。

だって、おサイフの中には一つ分買えるお金しか無かったんですもの。

随分長いこと、右見て左見て、左見て右見て・・・とうとう「うさぎ舞い」に

決めました。昨日のことのように覚えています。

すると、その張り子を作った作家さんが「そんなに気に入ってくれたのなら、

岩手まで遊びに来てください。」と、六原張り子の説明文の書かれた小さな紙

切れをくれました。そこに工房の住所が書かれていました。


それが夏休み前で、その夏休みには岩手行きを決行。

岩手のどこの駅かも確認しないで、夜行で北上駅へ。早朝着いたらあまりにも

眠くて、駅前通りに民宿を探し出して「すみませんが2時間寝かしていただけ

ませんか?」と頼み込み、2,000円で仮眠をとらせていただきました。

それから、北上駅から作家さんの工房へ電話をしたら、駅が違うと言う。

そりゃ、確かめてないのだから当然・・・。

ようやく「沢はん工房」に辿り着き、張り子のお面を作らせてもらい、暫くの

時間楽しく過ごしました。

それから、盛岡駅まで移動し、観光案内に行って今夜の宿を、と思ったら、そ

の日はなんと「さんさ踊り」。宿なんて空いているはずありません。

これは困った・・・そこで路線図を見て、どこか宿のありそうなところは無い

ものか探しました。すると「渋民」という駅がありました。

確か渋民は石川啄木と縁があったような・・・ここに行けば宿舎の一つくらい

あるだろう。と思ってローカル線に乗り込みました。

走り始めて間もなくすごい夕立になりました。それで、渋民駅に着いてみると

とても小さな可愛らしい駅で、降りてしまったものの、不安が・・・。

駅員さんに民宿などありませんか?と聞くと「(目の前の建物を指差し)ああ

ここだけだよ。」。

夜7時を回っていたのですが、事情を話すと「夜ごはんは余り物で良かったら

出来ますよ」と言ってくださって感謝感激。

そのお宿、現場仕事の男の人達が常宿にしている所らしく、部屋の仕切りは襖

のみ、出入り口も襖で、もちろん鍵はついていません。最初はちょっと心配で

したが、宿の方が「家のお客さんはみんな良い人だから大丈夫よ」と言うので

信じることにしました。

さて、お風呂にどうぞと言われ、入ってみると・・・うーん、さすがの私も入

るのに躊躇するほど・・・お湯がきちゃない。でも夕立に濡れて寒かったので

入りましたよ。湯船を出る時に流せばいいんですから〜。


翌日、「駅から徒歩30分」と案内されていた”石川啄木記念館”に行くことに

しました。

宿の清算を済ませ、お礼を述べて歩き始めました。


少し歩いていくと、軽トラックが横付けしてきて「ねえあんた、どこ行くの?」

と若い男の人が声をかけてくるではありませんか。「え!?こんなところでナンパ

??」と警戒していましたが、人の良さそうな人(と、無防備な私)。

「石川啄木記念館です。」

「えー?そりゃ無茶だよ、遠いよ〜?乗せていってあげるから乗りなさいよ。」

と言う。「え、いいです。歩きますから。」と何度か断りましたが、相手の方は

「本当に遠いから、いくら何でも歩けないって。」とあんまり言うし、そんなに

悪い人には思えませんでした。

結局、見ず知らずの男の人の車(軽トラですけど)に乗せていただくことに。

・・・いやあ、遠かった。徒歩30分て、誰が歩いたの??

「ね?だから言ったでしょ?」と、その人はあっけらかんと笑っていました。

だあれもいない石川啄木記念館をゆっくり見て、そのまま通りを渡り、北上川が

見える所まで行きました。

北上川は滔々(とうとう)と流れる、ゆったりした川でした。近くで草野球のか

け声が聞こえていました。

「やわらかに 柳青める 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けと ごとくに」という歌
碑が建っていました。


どの人も本当に親切で温かかった。岩手の訛りと共に私にとっては本当に素敵な、

大切な、大好きな思い出です。

だから、今回の地震で大変な被災をしたこと、胸を痛めているのです。


一日も早く、立ち直ってくださいますように、お祈りしています。是非またいつ

か行きたいのです。日本の素敵なところがいっぱい残っている岩手に。


六原張り子 沢はん工房

http://www6.ocn.ne.jp/~sawahan/


日本は民主国家・・・の、はず。

今回の東北関東大震災。

天災だけでも大変な被害なのに、原発事故という人災が加わってしまい

ました。


ドイツでは、自国のことではないにも関わらず大規模なデモが起こりま

した。

20万人とも25万人とも言われる大勢の人々が、

「NO  MORE  FUKUSIMA」

というようなプラカードを持って口々に訴え、メルケル首相は方針転換

を迫られた、と聞きました。


原発の問題は、信仰や党派を超えて、命の問題ではないか、という気が

しています。

ただ、日本では「訴える」という文化が根付いていないため、「デモ」

なんて聞くと「ちょっと違う人達の集まり」「あまり同じ集団に思われ

たくない」・・・なんていうイメージがあるのかもしれません。


これって、民主国家としては、あまり成熟していない、ということなの

でしょうか。


明日、都内2カ所でデモがあるらしいですね。

大勢集まるのかしら・・・



現実を知って

岩手の宮古市に知り合いの女性がいます。

いました、と言う方が正しいでしょうか。


本当は、知るのが恐かったのです。

もうお歳だし、知らない方が幸せかも・・・

そう思っていました。


今日、覚悟して調べたら、

「この方が亡くなったのを見た、という情報があります」

とだけありました。


彼女のお宅は、宮古駅のすぐ近く、磯鶏という住所でした。

海に近く、今回の津波の被害が大きかったところの一つです。

近くに「浄土が浜」という名勝があって、それは美しい海岸でした。


大学生の頃、浦和のデパートで開催されていた「大いわて展」。

そこで、ある人形作家さんに出会い「良かったら遊びに来てください」

なんて言われたのを真に受けて、突然一人で旅に出ました。

いつも思いつきで、思いついたらすぐ行動、の私です。


あんまり岩手が楽しかったので、翌年、今度は母を連れて伺いました。

今思えば、先方にとっては、はた迷惑な話だったに違いありません。

でも、一泊させていただいた人形作家さんの工房で飲んだ”白湯”が甘くて

甘くて、なんてお水が美味しいところなのかなあ、と感動したものです。

工房には、彼の生き方がちょっと覗けるような文章も書いてあったりして。


翌日、どこに行くのか停まるのか未定だった私たち親子に、工房のお手伝

いをしていた女性が「私の姉が宮古にいるから、聞いてあげるわよ」と。

まさかいいよなんて普通は言わないわよね、と思ったら「是非どうぞ!」。

こうして、全くの他人だったその方に、突然お世話になることになったので

す。

かれこれ25年あまりも前の話です。


もと漁師のご主人がまだ生きておられて、早朝に市場に行って名物の海鞘

(ホヤ)を始め、新鮮なお魚をおおご馳走してくれたのです。

その上「停まっていってね」と、図々しくも結局赤の他人のお宅に二泊も!


美しい鍾乳洞で知られる「龍泉洞」に私の運転でドライブしたり、近所の

ドライブインで安くて美味しい海鮮どんぶりを食べたり。

奥さん自身もお料理がとても上手で、何をいただいても美味しかった・・。

横浜に息子が住んでいる、と仰っていました。


結婚直前の夫との旅行の途中でも寄らせていただいたっけ。


毎年お年賀状をいただいていました。

私はちっともお返事が出せなくて。

ごめんなさい。


それにしても災害はむごい。

悲しくて悲しくて、どうして罪もない人々がこんな目に・・・。

血のつながりのない人だけど、涙があふれます。


今日は宮古のおばさんのために、手を合わせようと思います。

どうぞ、安らかにお眠りください。