「阪神淡路」から16年・・・
阪神淡路大震災から、今日で16年だそうですね。
私が結婚する少し前のことでした。朝起きて、ニュースをつけたら、目を疑う光景が。
高速道路がなぎ倒されていたり、高いビルがポッキリ折れていたり。
サンフランシスコ地震で高速道路が倒れた時、日本を代表する構造建築の専門家がテ
レビではっきり「こんなことは日本では決して起こりません。」と断言していたのに、
その張本人は阪神淡路大震災のあと出演したテレビでの解説で、言い訳に四苦八苦し
ていました。「想定外の揺れだった」と。
どんなに「解明出来た」「対策出来た」と人間が思っても、それを上回るようなこと
が起こりうるのが自然界というものなのですね。
原子力発電所・・・なんて大丈夫なはずないと思いますよ。考えただけでも恐ろしい。
ところで、私の父はその構造建築家という仕事をしています。
阪神淡路の時に、倒壊した鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物に、どのような欠陥あ
るいは手抜き工事がみられるのか、を取材しに行った中で、日本の伝統的な建造物が
全く問題なく残っていたことに気付いたそうです(歪んだり傾いだりしていても、人
が生存できる空間が確保されている)。「日本の伝統建築は優れた耐震性を備えてい
る。」と。
しかし、マスコミは一斉に「日本家屋の倒壊により、多くの人々が圧死した」と伝え
ました。構造建築家からすると「倒壊した在来構法の建物と伝統建築は全く違う」も
のだそうです。
その時から、「このままだと伝統建築に携わる職人達が立ち行かなくなってしまう」
という危機感から、全国を回って大工を始めとする職人達や理解ある建築家、施主な
どに公演・講義をして行脚しています。
結花はその運動のさなかに出会って、移築した建物なのです。
まあ、始めから移築するつもりだったわけではないのです。
結花の元の建物「灰谷薬局」を一目見て圧倒され、さらに”あと一ヶ月で壊す”と聞
て、「なんとしても残したい」と思いつめてしまったのでしょう。
しかし、個人で行うには大きすぎる事業でした。
私財は全て投げ売って、更に沢山のお金を借りて。
どんなに良い建物でも、結花はもともと松戸市のものではないので、市ではいっさ
い手を出すことは出来ないと言われました。
でも・・・日本の財産なんだけどなあ!!!
と心では思っているのです。