私が私であること

始めに。

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。

子供たちに残す社会をどうすればいいのか・・・

私たちみんなで考えていきましょう。


私は今年、何度目かのトシオンナなのですが、この歳になっても親の存在や影
響を強く感じます。

私の子どもらはどうなんだろう…


日本人は「空気を読む」「長いものには巻かれろ」という言葉にあるように、
周囲のムードに自分を馴染ませようとする傾向があるように感じます。

一方、外国人、例えば私には、ハンガリー人とスウェーデン人の友人がいる
のですが、彼らにとっては、日本人のそういう気質が理解できないみたいで
す。
「日本人は自分の意見を言わないが、自分の意見が無い、なんて気持ち悪い
よ」と言われたことがあります。

原発事故のあと、直感的に「ただ事じゃないぞ」と感じて対策をとった母親
がたくさんいた一方で、周囲がどうしているか伺って、何もしなかった母親
がいました。

それが、将来の子どもの健康被害の差にならなければいいけど…

日本人はある意味「素直」ですけど、裏を返せば「無関心」で「人任せ」。
自分で考えようとしないところは、極端なことを言えば、今回のような放射
能問題では、命とりにならないのかな、と思ったりして。

私は…
どうだろうなあ。
偉そうに言えた義理でもないけれど、同じ人とばかりツルむのは好きじゃな
いし、人前で発言するのもあまり抵抗無いし…
相手が誰だろうが、分からなければ質問するし…
「放射能気にしています」と言っちゃうし。

もちろん、場のムードをぶち壊さないように考えますけど(時々調子に乗り過
ぎることはあります…)、基本的には自分は自分、というスタンスです。

これって、私には「自己肯定感」と繋がっているような気がするんですが、
それとも私が少し変わってますでしょうか?


本読みボランティア、毎年9月は戦争のお話

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。
子供たちに残す社会をどうすればいいのか・・・
私たちみんなで考えていきましょう。


息子が通う小学校で、本読みのボランティアをしています。

毎年9月は、太平洋戦争に関係するような本を読んでいますが、ここ2年くらい、

この「いわたくんちのおばあちゃん」を読んでいます。代表のSさんからのリクエスト?


絵がさわやかなで、残酷さを感じさせませんが、とてもとても悲しい、本当にあった話…

毎回涙が込み上げて来るのは、やはり読み込みが足りないんだなあ。


そして、子ども達に必ず質問します。

「世界で初めて原子爆弾が落とされたのは、日本のどこか知ってる人!」

「じゃあ何月何日?」

「じゃあ、2番目の原爆は知ってる?」

「何時に落とされたか知ってる人!」


ほんの2、3人が

「ヒロシマ!」

「8月6日…」

なんて答えてくれますが、殆どの子は知りません。

以前はちょっと驚きましたが、最近は、小学6年生なんだからこんなもの

か…と思うようになりましたが、大人でも実は知らない人がたくさんいる

ようです。


今年は答えられた子はひとりだけでした。ちょっと考えてしまいます…

自国の悲しい歴史…

人類にとっての恐ろしい出発点…?

せめて原爆を投下された2カ所の地名と日時くらい覚えていたいもですよね。


ところで、原爆と原発は同じものだ、ということをご存知でしたか?

原爆は一気に核分裂させる。

原発はジリジリ核分裂させる。

原発は、一気に核分裂しないように大量の水で冷やしておく必要がある。

福島第一原子力発電所は、津波で施設が破壊されて、きっと原子炉を水

で冷やせなくなっちゃったんでしょうね、だから爆発したのでしょう。


「核の平和利用」?原爆が形を変えた原発が…?

なんかおかしくないですかねー。




今日は十五夜…別名「芋名月」です

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。
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今日は十五夜ですね。

空も晴れ渡り、今夜は美しい月が見えるかもしれませんね…


さて、小学校の読み聞かせボランティアで「かぐやひめ」を読みます。

その原文「竹取物語」は、ご存知のように日本

最古の物語と言われていますね。

作者は不明。

それにしても、平安のお方が、月にちなんだ、

こんなにステキな物語を想像したなんて!いや

何も無かった時代だからこその想像力なのかも

しれませんね…。






「竹取物語」

今は昔、丈撮りの翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの

ことに使ひけり。名をば、さぬきの造(みやつこ)となむいひける。その竹の中

に、もと光る竹なむ一筋ありける。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。

それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁、言ふやう、「

我、朝ごと夕ごとにみる竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給ふべき人な

めり。」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来りぬ。妻の女にあづけて養わす。

うつくしきこと限りなし。いと幼ければ籠(こ)に入れて養ふ…


<訳>

今となっては昔のこと、竹取の翁という者があったそうな。野山に分け入って竹

を取っては、いろいろなことに使っていたという。名を、さぬきのみやつこ、と

言ったそうな。
その竹の中に、根元の光る竹が、なんとまあ一本あったそうな。

不思議に思って近寄ってみると、筒の中が光っている。それを見ると、三寸(9

cm)ほどの人が、大変可愛らしく座っていた。翁が言うには、「わしが毎朝毎晩

見る竹のなかにいらっしゃったので、分かった。(我が) 子 (籠) となられるはずの

方のようだ」 と、手のひらに入れて、家へ持ってきた。妻である女に預けて、育

てさせる。可愛らしいこと、このうえない。たいそう小さいので、籠に入れて育

てる…


古(いにしえ)ですねえ〜


さて、日本ではお月見は2回行うのが習わしです。

旧暦の8月15日が「十五夜」、翌月の満月の二日前を「十三夜」と言いますね。

十五夜の頃は芋の収穫の時期なので、お芋をお供えします。五穀豊穣の意味もある

のでしょう。

十三夜は別名「豆名月」です。やはり、お豆の収穫時期だからだそうです。


まあ、我が家では専らそんなのどうでもよくて、「やっぱ団子でしょ!」と言って

おりますが…

今夜は息子と白玉だんごでも作ろうっと。


素晴らしいピアノ演奏に魅了されました

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。
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14日(土)は「第5回 山田紀子ピアノソロコンサート」でした。

満席のお客様を前に、山田さんは赤いドレスで登場。前半9曲、休

憩をはさんで後半は4曲を演奏しました。

毎回実にエネルギッシュな演奏です。また、新
しい曲にも挑戦され、プログラムの曲のバランスも研究されてきます。


山田紀子さんが素晴らしい点は、全ての曲を暗
譜して演奏するというところです。


また、曲を演奏する前には、その曲にまつわるエピソードや、曲の意味などを説明してくれるところも、お客様には好評でした。


前半はあっという間に終わり、そこでコーヒータイム。20分ほど

休憩時間をとって後半の演奏へ。


後半の演奏は、毎回超大曲を持ってきます。

お客様のリクエストに応えて、ムソルグスキーの「展覧会の絵」より5曲、ショパンのスケルツォ、英雄ポロネーズ、リストの超絶技

巧練習曲No.4マゼッパ。

どれもこれも素晴らしい演奏で、お客様もすっかり魅了された様子でした。


本当に、一体指はどうなっているんだ!?と思うようなしなやかさ。

幼少から鍛えているっていうのはすごいなあ…とあらためて感心させられました。


情(じょう)は膨らむもの、育つもの…思い出す祖母の言葉

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。
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夫の工場に野良猫の子ネコが迷い込み、結局我が家で飼うことになりました。

徳島県の生活があまりにも楽しかった息子は、帰ってきて、とても寂しかっ

たと思いますが、子ネコがいるので気持ちが紛れているようです。


昨日息子が

「ねえ、よその家のネコより自分ちのネコの方が可愛い
と思うんだ。どうしてだろうね?」

と私に聞きました。

「そうだね…そういう感情を”情”って言うんだね」

「ジョウって?」

「うーん…ある人をとても大切に思う気持ちかな。例え
ば家族じゃない人でも、ずっと一緒に住んでいるうちに、特別な存在になって、その人を大事に思うような感情のこと、かな?」

「へえ〜」

こうして人は少しずつ学んでいくのですね。


以前ブログに書いたような気がしますけど、私の父方の
祖母が言っていたことを思い出します。

「母性は初めから大きいわけじゃないの。子どもの成長
と共に段々膨らんでいくものなのよ」

その時代ゆえ学校には行けず、そう言う意味では「学」
は無かったけれど、感性と知性が素晴らしい女性でした。


私の人生の目標です。

…ムリかなぁ〜〜〜〜〜