「メディアリテラシー」って何ですか?
始めに。
結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。
子供たちに残す社会をどうすればいいのか・・・
私たちみんなで考えていきましょう。
昨日「様々なメディアから”真実”を読み解こう!〜元報道ディレクター、水島宏明氏が語る
現実〜」
という講座に参加して来ました。
とても興味深い話が満載で、あと2時間くらいは聞いていたいな〜と思いました。
昨年の原発事故以来、「メディアリテラシー」などと言う言葉が言われるようになりまし
た。
で、メディアリテラシーとはナンですか?
全く、何でもかんでも英語を並べりゃ良いってモンじゃない、という気がしていますが。
Wikipediaによると、
『メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な
情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも
言え、カナダ・イギリスおよびオーストラリアでは、カリキュラムに取り入れるよう国の政府が
指定している。アメリカ合衆国での扱いは、州によって異なる。
アメリカ合衆国以外では、メディア・リテラシーが単に「メディア教育」と呼ばれることも多い。
』とのこと。
今回の講座は、私たち視聴者の側が学ぶメディアとは、というものでした。
「ネットカフェ難民」という言葉は、講師の水島さんの考案だったそうで、社会の貧困をテーマに
した報道番組を数々作ってこられた、言わば社会派のディレクターとお見受けしました。
私が印象的だったのは、テレビ局の世界ですら、縦割りのお役所のようになっており、しかし一方
では常に視聴率を上げるという業績が求められるのが今の流れだ、という点です。
一つの事象をじっくり追い求めて、丹念に制作している時間が惜しくて、若いスタッフは、短絡的
なスクープなどを追い求めがちだ、と。だから「その背景は」とか「市民と行政のすれ違いの原因
は」とか、拾いあげることはあまり無い。
原発事故報道について、上の人間から「こういう報道にしろ」「こういう報道はやめろ」とかいう
圧力は無かった。むしろ自主的にそんな空気が広がっていた…
と仰っていました。
うーん。
私は、今の「考えない」風潮は、テレビが作ってきたと思っていますが、いや「いました」が、こ
れはニワトリとタマゴだなあ。
メディアが悪くなったから、大衆の「三無主義(無関心、無感動、無責任)」が広まったの
か?
大衆が「三無主義」だから、メディアが悪くなったのか??
とにかく言える事は、メディアに関しては私たち視聴者が賢くなること。消費に関しては、
私たち消費者が賢くなること。
これに尽きるなぁ…とつくづく思った講座でした。
ぜひまた、貧困・生活保護のテーマのお話をお聞きしたいと思いました。