プチ避難に来ています

11日の夕方、夫から電話があり「徳島行き決まったぞ。いつでも出発出来るように

準備しておいてくれ」といきなり言われました。

以前から「子どもたちを放射能の心配が無いところへ連れて行って、体を休ませたい」

と言ってはいましたが、何せ色々と入り用で、今年は我が家にそんな余裕は無いので、

私の中では正直諦めていました。


徳島県の吉野川上流に、ラフティングの会社を経営している私たちの昔の仲間がいる

のですが、私たちのことを仲介した仲間から事情を聞いた彼は、このお盆の超多忙な

中、池田町内に半月の滞在でも部屋を貸していただける不動産屋さんを当たってくれ

たのです。本当に感謝、感謝です。


私たち夫婦の昔の仲間である彼について、私は実は余り詳しく知りません。ミーティ

ングなどで見かけたことはありました。なんでもカヌーイストの野田知佑さんと日本

中の川をカヌーで下り、「日本の川地図」という本を出版した人だということです。

趣味が高じて仕事になった人です。そして、彼の会社にはそういう人ばかりが働いて

います。日本の夏は川下りのインストラクター・サポートをして暮らし、秋の終わり

頃には、例えばオーストラリアに渡り、あちらの川で同じように暮らす。

・・・およそ常識には囚われない生き方です。


今私たちは小さなマンションの5階にいます。クーラーが無いので、日中は暑いです

が、子どもたちは図書館に行き、宿題をしています。私は仲間の会社で雑用を手伝っ

て過ごしています。

川下りをしたお客様が着ていたウェットスーツやパーカーをを洗って干したり、乾い

たものをたたんで仕舞ったり。炎天下で、毎日100人ほどのものを洗って干す、少

し厳しい仕事ですが、恩返しのつもりで頑張っています。


水も空気も気にしないで過ごせるこの環境は、私にとっては精神的に安まります。子

どもたちは、放射線を浴びずに済んでいるというだけで細胞は修復されているはずで

す。しかも、川で遊べる環境が目の前にあるなんて、本当に良い時間を貰いました。


野菜と卵は、地野菜が沢山売られており、安心して食べることが出来るのが本当に有

難いです。ただ、乳製品と肉の購入に気を使うのは松戸と一緒です。


放射能の恐怖が”今のところ”無い地域で、意識が高まるのが難しいのは、住んでみて

初めて理解が出来ました。でも、伊方原子力発電所はこの先167kmくらいの距離

にありますし、もしここで大地震が起こったら、また同じ悲劇が繰り返されるかもし

れないのです。


8月15日は終戦記念部でしたが、その数日前はヒロシマとナガサキの原爆の日でし

た。二つの原子爆弾の投下によって、一瞬で数万人の人が命を落としています。

唯一の被爆国である日本は、もう一度「核」について再検証する必要が絶対にある。

私はそう感じています。


最後に、陰ながら努力して、私と子どもたちを避難させてくれた夫に心からありがとう。