春の結花亭…楽しい時間でした。

今日は「春の結花亭矢切寄席」でした。

若干花冷えの陽気でしたが、春の結花亭は、温かな空気に包まれました。


さん若さんの話しっぷりに、時々クスっと笑い

が出たり、じーっと聞き入ったり。

「初天神」というお話。

縁日の情景が目に浮かぶようでした。

中入りの前に、加藤木磊也君の三味線の演奏です。

修行中の身とは言え、聴かせていましたよ!


そしてもう一話、さん若さんの落語。

一文無しの男を泊めた宿屋。

代金を支払ってほしいと言う宿屋の主人。

男は、つい立てに雀の絵を残し去って行

く。

その絵に不思議なことが起こり、宿屋は

たちまち大評判に…。

「抜け雀」

という、ちょっとしっとりした、絵師の

親子の話でした。

演目が終わった後、コーヒータイムの時に、

出演した柳家さん若さん・加藤木磊也くんを

交えてフリートークになりました。

話しが弾み、また尽きなくて、楽しい時間と

なりました。

 


ちなみにウチの息子(この春小6)の感想。

「超面白かった〜。本当にお祭りみたいな景色が目に浮かんで来ちゃった。」


子どもはホンモノとニセモノを見分けられると言いますし。


また次回もこんな楽しい落語の企画をしますね!






子どもたちにどんな未来を残せば良い?

始めに。

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。

子供たちに残す社会をどうすればいいのか・・・

私たちみんなで考えていきましょう。


今日は地下鉄サリン事件が起こった日から18年なのだそうです。

恐ろしい事件でしたね…

学歴ばかり重視されて来た結果、あまりにも社会性のない頭脳人間ばかりが

育ってしまった弊害、とでも言えばいいのでしょうか。


そして先日、東日本大震災から2年が過ぎましたね。


今考えても何て大きな自然災害だったのだろうと思います。

2年目の3月11日、私は友人のお宅にお邪魔していて、2:46に二人で

黙祷を捧げました。


もし、あの災害が、地震と津波で終わっていたら、日本中はもっともっと東

日本を応援出来たのではないかと思います。


多くのお母さんがそうなように、私も子どもたちの健康をどうやって保てば

良いのか、今も毎日考えています。


放射能なんて気にしていない


そういう人もいますけど、一応心配しておいた方が無難だと思っています。

放射能の破壊力は、添加物とか公害物質などとは比べものにならないのだそ

うです。


でも、目立って発言することをみな畏れていました。目立つ人になりたくな

い、という感じでしょうか。

日本は未だにこんな調子なんですよね…

金子みすゞの「みんなちがってみんないい」という詩は、何か特別な意味を

含んでいるのでしょうか。

日本て「みんな同じでみんないい」という国だから。


思い起こせば、原発事故の直後の運動会、みなさんの学校ではいかがでした

か?

5月12日で、強風の日でした。

まだヨウ素がたっぷり含まれていた校庭の砂は舞い上がり、障害物競走など

校庭に這いつくばって競技をしている姿を、私は生きた心地がしないで見て

いました。


子どもに「運動会を休んだらどうか」と言っても「いやだ」と言う。

マスクをきちんとしてと言っても「みんなはやっていない」と言う。


あの頃、殆どの子どもたちは被曝を避けていないのです。

本当に何も影響は無いのですか?

「直ちに影響は無い」のでしょうけど、10年後はどうですか?20年後は?


「分からないこと」を「安全だ」と言っていいのでしょうか。


我が子が大人になって、結婚して、子どもを産んで、その子がある程度大き

くなるまで、私にとっての「安心」は無いと思います。


見守っていかなければならないと思います。


2年前のある日の息子と会話。

福島県の20mSv/h問題の時でした。


私 「国の人たちって、すごく頭の良い人ばかりなのに、どうしてこんな簡単

なことが分からないんだろうね」

息子「お母さんが国の人になれば良いのに」

私 「え?無理でしょう、お母さんはなれないよ〜」

息子「ううん、出来るよ。お母さんにならきっと出来るよ!」


何とも嬉しいこと言ってくれました、息子は。


もちろん本当は私に出来るはずは無いのです。

ただ、息子にとってはそれほど私の存在が、絶対的なものなのだな…と思いま

した。


私は、彼の前だけでは、恥ずかしい大人になってはいけないな、と思いました。


少なくとも、放射能の影響を心配しななくてもいい社会への道筋くらいは、残

してあげたいものです。




大切な仲間の送別会

今日は、大切な仲間たちの送別会でした。

共に、濃い時間を過ごして来た、志しある仲間たち。


それにしても、人生で出会いほどの宝物は無いのではないでしょうか。


出会いは、自分を育ててくれます。

出会いは、勇気や元気を与えてくれます。


一人の人との出会い

一冊の本との出会い


また、出会いによって、自分が豊かになりますね。


出会いと出会いが集まり、仲間になり…

それが励みになっていきます。


ああでも

同じ国内とは言え、離れていく仲間たち。

今は寂しい…。


けれど私って鈍いみたいで

感情が後からくるのですよ。

忘れた頃にどんよりと肩を落としています。


でも、

あなたたちと助け合えたこと

あなたたちと高めあえたこと

あなたたちと創りあげてきたこと


私にとっては全部、大きな大きな財産です。


今日、言葉の代わりに贈った歌

題名何て言うんだろう

「ありがとう」

かな。


君に会えて 嬉しかった

その笑顔 ありがとう

さよならは 言わないよ

またいつか 会えるから

ありがとう ありがとう

ありがとう ありがとう


3、4行目は歌うの忘れてしまった…

揚がってたのかな。


離れていてもずっと仲間だよ!



サラワクの話8 〜私が訪れたジャングルの村〜

蔵のギャラリー・喫茶 結花(ゆい)は、明治8年築の見世蔵を移築した建物です。

135年ほど経った建物は、空気感が違っていて、おいで下さったお客様の殆どが

「心地良い」「癒される」と感じてくださいます。

結花の取り柄と言えば、この空間だけですけれど・・・。

でも、お客様がここで癒されるのは、無垢の木がたくさん使用された建物だから。

そして、長い年月が経っているから・・・。

建築に使用される木が育つのに必要な年月が50年〜60年なので、住宅の寿命を

もっと伸ばさなければ、森はいつか無くなってしまうのです。


あ〜

随分ひさしぶりにマレーシア国サラワク州のことを書きます。

ちょっと長いですけど。


東日本大震災の前に時々連載していたジャングルのお話。

これが最後になるかな?

またふと思い出すことがあったら書き留めるかもしれませんけど…。


サラワク州はボルネオ島の東側に位置しています。

マレーシアという国は東マレーシアと西マレーシアに分かれていて、

東マレーシアに「サバ州」「サラワク州」の二つの州があります。


私は2回サラワク州を訪れているのですが、その2回とも共通するのが

「ラーメン」

です。


私たちが「日本という、文明的に進んだ国から来た」という理由から、村の人は何

故か文明的な食べ物(彼らにとってはラーメン)を食べさせたがるのですよ。


だけど!!!!!

そのラーメン、小さなアリンコがたーくさん浮いているのです〜…。

ジャングルのアリって本当に逞しくて、何でもかじっちゃう。

ラーメンの袋なんてあっさりと穴が開けられてしまうんです。

袋の中にはアリンコがいっぱい!!!


でも、ジャングルの住民達はそんなことは普通のことなので、へいちゃらで食べます。


うー・・・「どうする???」

日本人同士顔を見合わせました。

だけど「食べられない」とも言えまい。


もっちろん、食べましたとも。

味ですか?

あんまり味は無かったんですよね。

わりと普通に食べてしまいました〜〜〜。


平和で豊な彼らの村。

サラワクのジャングルは、日本の商社の子会社によって、

どんどん伐り倒されていきました。

そしてその時、日本はバブル景気で誰も彼もが浮かれていたのです。


ところで、どうして彼らにとって、森は大事なのでしょう?

つまらない質問でしょうか。


私は若い頃、なかなか想像出来なかったのです。


あなたの住んでいる地域から、お店が一軒も無くなったとします。

車で何時間も移動しないとお店がありません。

「はい、今日から自給自足して」というような状態です。

あなたには出来ますか?


これと同じことを、彼らは求められていたのでした。


つまり、彼らの生活はほぼ100%が自給自足。

その糧を奪われていたのです。

特に、畑作の週間を全く持たない「プナン」という民族は、もろに影響を受けていました。


福島第一原子力発電所のこともそうですが

自分の生活の犠牲になっている人がいる、ということを

私たちは知らなくてはならない気がします。


そこから先は想像力。

思い計ること、だと思うのですよ。