子どもたちにどんな未来を残せば良い?

始めに。

結花は、地域分散型の「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。

子供たちに残す社会をどうすればいいのか・・・

私たちみんなで考えていきましょう。


今日は地下鉄サリン事件が起こった日から18年なのだそうです。

恐ろしい事件でしたね…

学歴ばかり重視されて来た結果、あまりにも社会性のない頭脳人間ばかりが

育ってしまった弊害、とでも言えばいいのでしょうか。


そして先日、東日本大震災から2年が過ぎましたね。


今考えても何て大きな自然災害だったのだろうと思います。

2年目の3月11日、私は友人のお宅にお邪魔していて、2:46に二人で

黙祷を捧げました。


もし、あの災害が、地震と津波で終わっていたら、日本中はもっともっと東

日本を応援出来たのではないかと思います。


多くのお母さんがそうなように、私も子どもたちの健康をどうやって保てば

良いのか、今も毎日考えています。


放射能なんて気にしていない


そういう人もいますけど、一応心配しておいた方が無難だと思っています。

放射能の破壊力は、添加物とか公害物質などとは比べものにならないのだそ

うです。


でも、目立って発言することをみな畏れていました。目立つ人になりたくな

い、という感じでしょうか。

日本は未だにこんな調子なんですよね…

金子みすゞの「みんなちがってみんないい」という詩は、何か特別な意味を

含んでいるのでしょうか。

日本て「みんな同じでみんないい」という国だから。


思い起こせば、原発事故の直後の運動会、みなさんの学校ではいかがでした

か?

5月12日で、強風の日でした。

まだヨウ素がたっぷり含まれていた校庭の砂は舞い上がり、障害物競走など

校庭に這いつくばって競技をしている姿を、私は生きた心地がしないで見て

いました。


子どもに「運動会を休んだらどうか」と言っても「いやだ」と言う。

マスクをきちんとしてと言っても「みんなはやっていない」と言う。


あの頃、殆どの子どもたちは被曝を避けていないのです。

本当に何も影響は無いのですか?

「直ちに影響は無い」のでしょうけど、10年後はどうですか?20年後は?


「分からないこと」を「安全だ」と言っていいのでしょうか。


我が子が大人になって、結婚して、子どもを産んで、その子がある程度大き

くなるまで、私にとっての「安心」は無いと思います。


見守っていかなければならないと思います。


2年前のある日の息子と会話。

福島県の20mSv/h問題の時でした。


私 「国の人たちって、すごく頭の良い人ばかりなのに、どうしてこんな簡単

なことが分からないんだろうね」

息子「お母さんが国の人になれば良いのに」

私 「え?無理でしょう、お母さんはなれないよ〜」

息子「ううん、出来るよ。お母さんにならきっと出来るよ!」


何とも嬉しいこと言ってくれました、息子は。


もちろん本当は私に出来るはずは無いのです。

ただ、息子にとってはそれほど私の存在が、絶対的なものなのだな…と思いま

した。


私は、彼の前だけでは、恥ずかしい大人になってはいけないな、と思いました。


少なくとも、放射能の影響を心配しななくてもいい社会への道筋くらいは、残

してあげたいものです。