立春過ぎて・・・

始めに。

結花は「持続可能なエネルギーへの転換」に賛成です。

子供たちに残す社会をどうすればいいのか・・・

私たちみんなで考えていきましょう。


先週の節分の日、つまり2月3日(金)には、すでに結花の玄関先の”

ふきのとう”がしっかり芽を出していました。


人間が色々振り回されている間にも、自然は何事も無かったかのように

季節を察知し、淡々と自分の役割をしているんですね・・・


でも、このふきのとうは食べられるんでしょうか?

こんな小さな喜びも慎重になってしまう。

毎年食べていた”ハゼ”も”川エビ”も、近所の川のものは食べられないし。

世界は、以前とは変わってしまいました。


さて、先月の1月21日(土)に松戸市民会館で行われた「いまからで

きること!〜放射能とエネルギーのはなし〜」の最後に届けたメッセー

ジをここに記しておきます。様々な方に「感動した」「心に響いた」と

感想をいただきました。でも、それは私が素晴らしいからのではないの

です。母親なら、誰もが思っていることだからに違いないと思います。


2011年3月11日、東日本大震災が発生し、翌日から、福島第一原子力発電所が

相次いで爆発しました。その結果、大量の放射性物質が飛散し、特に3月21日に

降った雨の影響で、東葛地域は汚染されました。

今日は、汚染の雨が降った3月21日から、ちょうど10ヶ月です。


原発事故の直後「直ちに影響はない」という安全キャンペーンが繰り返されました。

一方、報道に違和感を持った一部の人びとは、真実を求め、行動し始めました。

しかし、そうした市民の多くが、その汚染の本当の意味を知ったのは、少し後になっ

てからのことでした。つまり、原発事故の場合、爆発した直後に放射性物質が最も

大量に飛び散り、その被爆量も大きいのだ、と。


「あの日、うちの子は何をしていたかしら」

「マスクをさせるべきだった」

「雨に濡れたかもしれない」

「水を飲ませてしまった」


私たちは、親として、子どもに配慮できなかった自分の無知を悔やみました。けれ

ど、「子どもに被曝をこれ以上させたくない」と焦っても、はじめは孤独な「点」

でした。


友達が分かってくれない。夫が分かってくれない。親が分かってくれない。

だれか理解し合える人が欲しい!


小さな「点」だった私たちは、つながりを強く求めて、方々へ発信しはじめました。

ようやく一人、また一人、少しずつ点と点がつながり、やがて線となってここまで

たどり着きました。


このかんに、私たちは、気がつきました。

流されて生きることは、無責任なのだ、と。


私たちは知りました。

原発は、事故を起こす前も、起こした後も、作業者を被爆させるのだ、ということ

を。

私たちの豊かな生活は、多くの犠牲の上に成り立っていたのだ、ということを。


今、私たちを突き動かしているのは、命を脅かすものへの怒りであり、自分への戒

めです。

放射能汚染が無かった頃の、どこにでもある日常を取り戻したいという、つつまし

やかな願いです。

命をはぐくむ、命ある食べ物を取り戻したいという思いです。


私たちは謝ります。

放射能の負荷を負わせてしまった子どもたちに。この社会を作ってきてしまった大

人として。


同時に私たちは、子を持つ親です。

子どもの未来に責任があります。


5年後も10年後も子ども達の元気な笑顔と共に暮らしていきたい。


だから、私たちは、原発を受け入れることは出来ません。


けれども、これは一人ではできません。仲間がいなければできません。

一人の力は小さいけれど、集まれば大きな力になっていきます。


目や耳を塞いでいても何も変わりません。

ぜひ、私たちとつながってください。


子どもたちに繋ぐ未来を 一緒に考えていきましょう。



2012年1月21日 於:松戸市民会館ホールにて

田中優さん講演会実行委員会 委員長

こども東葛ネット 代 表

増田薫』