福島県からの発言に涙です。
”結花”は持続可能なエネルギーへの転換に賛成です。
「電力が足りなくなったらどうするんだ!?」という脅迫まがいの意見も
今だにありますが、実際には電力は余っていますね。
現在11基の原発しか動いていませんが、問題ないですし、間もなく定期
点検のために全基が止まるそうですが、それでも全く問題ないでしょう。
しかし、最も重要なことは、「人類は核をコントロールする術を持ってい
ない」ということです。
何万年、何億年もの先まで管理しなければならない猛毒の”放射性廃棄物”。
私は、自分の子どもや孫、その先の私の子孫にまで、こんな恐ろしいもの
を残したくはありません。
さて、9月19日(月・祝)に行われた「さようなら原発・5万人集会」
の様子をテレビなどでご覧になった方も多いのではないでしょうか?
その発言者の中で、私の心に最も響いたのは、福島県から来た「ハイロア
クション」の武藤類子さんの挨拶でした。当事者の声はやはり重みが全然
違いました。以下、すこし長いですが全文を載せました。
ゆっくり噛み締めて読みたいですね。
『みなさんこんにちは。福島から参りました。
今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と
一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた
原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらない、の声をあげようと、声を
かけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。
はじめに申し上げたい事があります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさん
ひとりひとりを、深く尊敬いたします。
それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった
方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、
若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思
います。本当にごめんなさい。
皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・
りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂
れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな
私たちのふるさとです。
3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私た
ちはヒバクシャとなりました。
大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人
と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲
しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?
食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させな
い?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択があ
りました。
そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」
です。
福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・
・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・
・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、
労働者たちが・・・
・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・
・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・ 国と東電の責任を問い続けています。そして、
原発はもういらないと声をあげています。
私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と
責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつ
ながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府
交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そし
て、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチを
している仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私た
ちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコ
ンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差
別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその
向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という
美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エ
ネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたい
です。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答え
はわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひ
とりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができ
ることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があるこ
とを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょ
う。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる
壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互
いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいる
その手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、
道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらか
に生き延びていきましょう。』