「孤独」という病(やまい)

皆さんは、例えば「mixi」や「facebook」などのコミュニケーションサイトを

利用していますか?

松戸市内にも「ラブマツ」というコミュニケーションサイトがあります。

私も、一応それらに加入していています

しかし正直、会ったことがない人とは友達になるという気にならず、ですので

いわゆる”マイミク”などはほんのわずかですが・・・。


それにしても「公開日記」とは、面白い発想ですよね。

私も以前は熱心に書き込みをしていました。


でも、どうして公開するのでしょうか。公開する心理とは何なのでしょうか。

どうして、多くの人が知らない誰かとマイミクなるものになるのでしょう。


私は思うのです。

人はやはり、人と繋がっていたいのだ、と。

公開した日記に対して、誰かが反応してくれる。賛成してくれる。同感してく

れる。やはりそんなことを期待しているから、日記を公開しているのだ、と。


でも、ある時からどうしてか何となくそれがしっくり来なくなり、書くのを止

めてしまったのです。

理由はよくわかりませんが、基本は人間同士、肉声が必要だと感じたからかも

しれません。

メールもそうですが、どんなに沢山のメールをやり取りしても、満足出来るこ

とはありません。どうしてか、何か足りないのです。


ところで、最近問題の”ネット依存”。

子どもを育てることも忘れてネットゲームにハマる母親。携帯電話を手にして

いないと仕事もてにつかないほどだというOL。

女性にネット依存が多いのは何故なのでしょう。


私の場合は、子育て中にとても孤独を感じました。

夫は仕事の悩みで時間的にも物理的にも余裕がなく、私は子どもを保育園に送

迎しながらパートをかけ持ち。肉体的にもかなりキツいものがありました。

保育園の保護者とは送り迎えの時だけのおつきあいだったし、時間的にも余裕

がない中、どこかに出向いて居場所を探そうという思考さえ働かず。


とても孤独でした。

子どもにもイライラして爆発したりして。

その時に5歳(6歳になっていたかもしれません)の娘からもらった手紙は・・・

今も大切に取っておいてあります。

今思い出しても切なくて、涙が出るような手紙です。


あの時の自分を思うと、現代の病の多くが「孤独」を原因とするものなのではな

いかと思ったりするのです。

人は、やはり人と関わりを持っていく必要が、絶対にある。そう思います。

実際に人と関わることは、煩わしさがつきまとうものですが、それを受容しつつ、

人は人と関わっていかなければならない生き物なのではないでしょうか。


結花は、そんな社会にどんな発信ができるのでしょう。

何らかの「結」をこの矢切に築きたい。

人との”縁”が希薄なこの社会において、結花だけは暖かく咲いていたい。

結花はそんな存在でいたいのです。